子どもにはとりあえず好きなことをやらせよう

さて、今日は教育についての僕の持論を述べたいと思います

僕の教育方針は「とにかく自由に好きなことをやろう」です

なんじゃそりゃって思うかもしれませんが、結局そこに行き着くんですよ、教育って

僕の所には子育あてで悩まれている親御さんがよくいらっしゃいますが、大抵の親御さんは学校で先生方に自分の子どもを悪役にされています

「学校で他のお友達に暴力を振るいました」とか「学校の勉強が全然出来ません」とか「教室に入ることが出来ません」とかその他数え上げればキリがありません

そうしてその度に学校から連絡があって「お宅の子どもは○○ができない」とか「知能検査を受けて下さい」とかゲンナリするようなことばかり言われます

まぁそんな感じで言われて僕の職場とかに来るわけで、もう何を信じれば良いのか分からない状態になっています

そんな時に、僕は「自由に好きなことをやらせましょう」と親御さんに言います

最初は思いますよね。自由に好きなことをやったから他人に迷惑をかけたんでしょ!って

でも子どもが学校で何かを問題を起こした場合って自由だったからでしょうか?

むしろ、僕は逆だと思います

多くの場合、子どもが何かしらの問題行かk動を起こす時は不自由さを感じています

問題行動を起こしている時点でとても不自由さを感じているんですね

だから、せめて僕と過ごす時間は自由であってほしいと思っています

僕は基本的に授業の準備は全くしません

まずは、何をやりたいのかを子どもに問いかけます

そこでやりたいことが出てくるならそれをやるし、出てこないなら何もしません

僕は自由であることの条件として「やることを自分で決めること」のみ譲らない条件として掲げています

そうして「自分がやりたいと決めたこと」を日々取り組んでいくという形です

日々これを繰り返します

時には何もやりたくない時だってありますがが、それも子ども自身が自分でそれを伝えてくれれば良しとしています

こうやってまずは自分がやりたいことをどんどんやっていく、そしてやりたいことが何なのか常に人に伝え続ける、こうした経験が子どもの

成長には不可欠なことであると思います

そうした習慣がついてきた時に段々とそれが人生の目標のようなものに変貌を遂げていきます

そうすると本当に自分にとって大切なものとなるので、そのために必要な努力をしやすくなります

その時に本来苦手なことも案外やるようになっているんですね

例えば今までの事例だと学習障害の子が勉強をしだしたりとか、行動が激しい子が学校での行動が落ち着いたりとか、不登校の子が学校に行き始めたりとか、かん黙の子が喋りだしたとか色々あります

なんならIQが20くらい上がったりとか嘘でしょ?って言われるようなことが結構僕の授業では日常です

こういうのって他人に迷惑をかけないたがめに矯正させても治るものじゃないです

自分にとってその困難さを乗り越える必要があると自覚したら自然と治る、治らないまでも結構マシになる

そしてその困難を乗り越えるエネルギーは日々自分で決めるやりたいことからしか生まれません

だから僕の教育は自由に好きなことをやるんです

最後に発達障害について思うこと

僕はこの言葉が好きではありません

多少特性があってもちゃんとした理解があれば大抵の子は障害として顕在化しないです

どちらかと言うと関わりがあまり上手ではない先生とかが手を焼いてとりあえず別の専門機関に送っちゃえっていう感じで

それによってその子どもは障害者というラベルを貼られているように思います

発達障害の診断なんて学校で何回か問題起こせば簡単に取れます

そして大抵「生徒のために専門的で適切な支援を」とか「将来のために」とかのたまうんですけど実際そういうのを薦める先生に限って

実際に別のところで何をやるかとか、どういう関わりが適切なのかを知らないで薦めています

学校でそういうことを言われた親御さん、そういう発言には要注意ですよ

大抵が保身から出た発言なので

もしもそう言われてテンパっちゃったら、少しはマシなアドバイスが出来るかと思うんで送信フォームより連絡下さい♪

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です