さて、漫画が昔から好きです
多分今まで、数万冊の漫画を読んでいます
小さい頃はコロコロコミックは勿論ですが、どちらかというとオールドな漫画を読むことにハマっていました
手塚治虫とかちばてつやとか松本零士とか藤子不二雄(A&F)とか赤塚不二夫とか(敬称略)
僕が幼き頃はまだまだ文庫化とか全然進んでいなくて、わざわざ神保町や中野に赴いてお年玉はたいて、
プレミアがついてる漫画を買ったりもしましたっけ
トキワ荘の住人が好きで、親や祖父の反対を押し切って、初めての一人暮らしは2万円代の風呂なしアパートに暮らしていました
世の中に名を残すような業績は貧乏から生まれるんだ!!と本気で思っていました
まぁ多分そういう経験は糧になるんだろうとは今でも思っています
まだ残念ながら世の中に名を残してはおらず、無名中の無名ですが…
自分と漫画、これは自分にとって大きなテーマだなぁと書いていて思ったので、それはそれで今度書くとして、
今回は天才バカボンについてですね
天才バカボンって当時のアニメだけとか観てると(因みに僕はかなり古く遡っているだけで全然世代ではありません)、
かなり革新的な漫画です
数ある赤塚不二夫の漫画の中でも幾多の実験を繰り返している漫画だと思います
読者が投稿した絵をコラージュして無理やり漫画にしたり、1ページに1コマしかない回があったり、左手で書いたり
おいおいナメてんの?って普通に思う回が多数あります
因みに左手で書いたのが以下の画像ですが、悪くない気もしますw
現代でもH●NTER✕H●NTERが連載中に絵が荒れたり(まぁ事故だと思っていますが)とか時々ありますが、天才バカボンは意図的にふざけています
最近はコンプライアンスが厳しくて、こういうおふざけが必要以上に叩かれやすいですが、とても嘆かわしいことだと思っています
結局こうした風潮は表現の幅が狭められて娯楽のない世の中になっていくし
それにしても、コンプライアンスは一体どこの誰が唱えているのだろうと時々思うことがあります
この風潮が面白くないことは誰でも分かることだろうし、身の回りにもいない
予期不安が勝手に作り出している幻のような気もします
教育上望ましくないものというのは、結局受け取り手の問題で、教育上よろしくないと言われる残酷なゲームを、
考えながらプレイしている子どももいれば、なんとなく流されてやっている子どももいる
良くなさそうだから事前に排除しようというのは基本的に安直な解決策にすぎません
人というのは何か刺激を与えられてそれに対して何かしら思い、何かしら行動するようにできています
その刺激に対して何を思い、何をするのか、それは第三者が慮って制御するようなものじゃありません
大体そういうお節介は人の成長を止めるというのは、教育の現場にいると日々感じることです
あっ、身の危険にさらされるようなことは制御した方が良いと思います
例えば幼児にピストル渡すとか、薬物渡すとかそういったことは論外ですよ
本当はこれくらいシンプルで良いはずなのに、どこまでが制御すべきで、どこまでが制御すべきではないのか分からなくなっているのがこのコンプライアンスの幻の正体なのでしょう
あっ、いつの間にか教育の話になってましたね
とりあえずそうしたアンチコンプライアンスな考え方、ユーモアに変換する革命を行った漫画、
それが、天才バカボンなんですね
さて、そんな革新的な漫画が最近深夜アニメとして復活しました
内容としてはきっと賛否両論出るんだろうなーという印象を受けます
出演者が豪華で単発でYOSHIKIさんとか野沢雅子さんとか僕の人生の師でもあるブラックジャック先生も出ています
内容も先程のコンプライアンスを逆手に取ったネタがあったり、作画崩壊をネタにしたり、当時の天才バカボンが好きな人には少し懐かしさを感じる場面もしばしばあります
このアニメの放映がきっかけで、オリジナルの天才バカボンに興味を持つ人が出てくる可能性があることも、嬉しい部分ではあります
それこそ、コンプライアンスに対する風潮がマイルドになりますように
ただ、原作者の赤塚不二夫先生は当然ながらご存命ではないので、なんとなくファンメイドという感じが拭えなくもありません
しかし、豪華なゲストを見ても分かるように、きっと生前のリスペクトが凄いのでファンメイドのファンの質が極上で、アニメとしての完成度も高いです
僕もいつか出たい!!
因みに新しさを打ち出すためか作画が紫ベースで独特です
これはどういう意図や効果があるのか分からないので、自分なりに模して描いてみました
結局分かりませんでしたが、以下の画像はいつかアニメ出演を夢見て…
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